空き家の木造アパート「萩荘」が人の集まる最小複合施設「HAGISO」に生まれ変わった理由

2022.5.24 | Author: 大塚有紀
空き家の木造アパート「萩荘」が人の集まる最小複合施設「HAGISO」に生まれ変わった理由

東京、谷中を拠点に、築60年の木造アパート「萩荘」を改修して、最小複合施設「 HAGISO」として運営している人がいる。その人は建築家の宮崎晃吉さん。大学院生の時に萩荘に住み始め、卒業後は建築事務所で働いて、後に独立。その時、萩荘は老朽化を理由に取り壊されようとしていた。そこから、なぜHAGISOになったのか?

空き家「萩荘」に大学生が住み始める

宮崎晃吉(みやざき・みつよし)さん

宮崎さんは、東京に住み始める前、群馬県の進学校に通っていた。周りは優秀な学生ばかりで、自分は落ちぶれていると感じていた。高校の部活は吹奏楽部に入っていて、ある日憧れの先輩が建築科を目指していることを知る。話を聞くうちに、面白そうだと興味を持ち、数多くの建築家、芸術家を輩出している東京藝術大学を目指そうと思った。

東京藝術大学の建築科は、入学できるのが15人。2022年度入試の倍率は5.7倍である。あの東京大学の理科三類の倍率は4倍だから、東京藝術大学に入るのがいかに難しいか想像できるだろう。難関といわれる大学を選んだ理由は、優秀な同級生の鼻を明かすにどうしたらいいか考えていたからだ。東京藝術大学を受ける同級生はいなかったから周りと比べられることもなかった。

東京藝術大学の試験に、デッサンと立体物がある。もともと絵を描くことは好きだったが、美術の予備校に入って本格的に学び始めると、デッサンや立体物を作ることに思いのほか夢中になった。それでも現役での合格を目指すのは大変で、一浪して東京藝術大学の建築学科に入学。学生生活は、寝ても覚めても課題のことを考えるような日々だった。授業は、先生から条件を与えられるなかで設計をして、プレゼンテーションする設計課題演習が多かった。

「時には、学校が休みの日でも同級生や上級生とお酒を酌み交わしながら、どれだけ面白いことを言えるか、面白い提案ができるか話し込むこともありました」

2004年、大学院1年生のとき、後輩3人が空き家の木造アパートに住むという話を聞いた。それが、「萩荘」だった。持ち主はお寺の住職で、築60年。彼らはなぜ、誰も住んでおらず、劣化が進んでいた古い家に入居を決めたのか。

後輩たちは建築科の課題で、架空の建築プロジェクトを設計するという演習があり、課題で指定された谷中を歩いていたその時、ついでに自分たちが住める場所も探していたそうだ。

ある寺院の前で話し込んでいたら、偶然、そこの奥さんに声をかけられた。初対面の人にもフランクで誰とでもすぐに打ち解けるような人柄だった後輩たちが話の流れで部屋を探していると伝えると、人が住んでいないアパートがあると案内してくれた。彼らがそのアパートに興味を持つと、奥さんと住職とから「誰も住まないよりいいだろう」と、入居の許可を得た。

そのアパートに住み始めた彼らは、自分たちで部屋を改修した。壁を撤去して2部屋を1部屋に変えたり、まるで建築工事のようだったという。「もともと空き家だったし、長くは使わないだろう」と、大家の住職と奥さんもあれこれ言わなかったそうだ。

宮崎さんが萩荘に住み始めたのは2006年。萩荘に住んでいた後輩のひとりが引っ越して部屋が空いてので、宮崎さんが住むことになったのだ。住職と奥さんは、まだ社会性や経済力もない後輩たちを温かい目で見守り、奥さんが弁当を届けてくれることもあったという。大家の人柄の良さを知っていたから、萩荘に入居するのは自然な流れだった。

 

震災をきっかけに建物のお葬式を行う

大学院を出た後は、都内の建築事務所に就職。当時の稼ぎは少なく、倹約して生活していた。萩荘は家賃が高くないうえ居心地が良かったから、社会人になってからも住み続けた。

萩荘での生活が5年経った2011年、東日本大震災がきっかけで、大家の住職が「老朽化が心配だし、萩荘を壊して駐車場にする」と言い始めた。そのタイミングで住人も引っ越しをするという話になったが、住人全員、このまま壊されていくのは寂しいと感じた。宮崎さんは最後にイベントを開催したいと大家さんにお願いした。

そして2011年に建物のお葬式「ハギエンナーレ」を開催。萩荘の空間をすべて使って、至るところにアーティストの作品を展示するという企画だった。

アーティストは20人ほど集まり、建物にあるものを再利用して作品を作った。みな、手弁当で協力してくれた。オープニングを迎えると、宮崎さんは古くてボロいと言われるようなものがひとつの作品になって見え方も変わり、むしろ価値あるものとして感じた。

その3週間で1500人が来場して、ハギエンナーレは大盛況のうちに幕を閉じた。大家の住職や奥さんも、喜んでくれた。イベントが終わり、一緒に掃除をしていた時、奥さんが「壊すつもりでいたけれど、少しもったいないのかもね」とつぶやいた。

それから改めて話し合いがもたれた。宮崎さんには、萩荘を「最小文化複合施設にしたい」というアイデアがあった。宮崎さんのいう最小文化複合施設とは、面白いことや面白い人が萩荘に関わり、混ざりあって新しいものが生まれていくような場所だ。住職夫婦は、その提案を受け入れてくれた。

そもそも古い建物を生かしたいという思いはどこからわいてきたのだろうか。

「建築事務所で働いていたころ、1年以上、上海に住んでいました。そこで見たものが、数十年前の古い建物を生かして、その建物のいいところをうまく使う手法でした。建物は、解体したらもう残りません。そういった建物を改修して都市文化として残していきたくて」

2013年に独立した宮崎さんは、萩荘のリノベーションを手掛けた。そして同年、最小文化複合施設「HAGISO」をオープンさせた。1階には、カフェ、ギャラリー、レンタルスペース。2階にホテルのレセプションと日替わりのサロンがある。

HAGISO 1階にある「HAGI CAFE」の様子

HAGISO 1階のギャラリー

ホテルのレセプションだけあるのは、宿泊室がまちのなかにあるからだ。宿泊棟「丸越荘」はHAGISOから徒歩1~2分のところにある。そこも、もともと空き家だったが、建物の趣を残しながら改修した。そしてサロンには、曜日ごとに整体師やマッサージ師がきて施術を行っている。

HAGISO 2階にある「hanare reception」

「HAGISO」にやってくるのは近場の人だけではない。谷中という町に魅力を感じて来る人、HAGISO自体に興味を持って来る人もいる。コロナ禍の前は海外からくるお客さんも多かった。

 

人が集まる街と風通しがいい場所に

オープンして10年の間、HAGISOでの取り組みが徐々に広まった。地方の地主から声がかかり、そこの古い建物をリノベーションしたこともあるという。

「これまでやってきたイベントや展示などを通して、HAGISOに関わってくれた人と、この場所の思い出が日々積み重なってきました。 10年間続けてきたことで、地域の人と何ができるのか考えるようになっていきました」

それからはHAGISOが地域のためにできることを試行錯誤するように。そのうちのひとつが、2022年3月に立ち上げた、谷根千(やねせん)と呼ばれる谷中・根津・千駄木のエリアを中心としたローカルメディア「まちまち眼鏡店」。これは、眼鏡を売るメディアではない。このまちに関わる人がどんな風にまちを見ているのかを取材したものだ。

「HAGISOを運営してから地域の人と関わりや交流がどんどん深まっているなかで、自分たちだけが良ければいいという発想ではなくなって。やはりまち自体がよくなってほしいし、このまちのいろいろな場所で面白いことが起きていると、まちの魅力を知るきっかけになると思うんですよね。案外住んでいる人たちも気づいていないことや知らないこともあるから、このメディアで知るきっかけになれればいいなと思います」

さらにHAGISOの目指すところについて、こう話した。

「今後は地域の長期的な展望を社内外の人たちと共有して実際に行動できる関係性を作っていきたいと考えています。また設計から企画・運営までできる自分たちの強みを生かして、他地域での地域課題解決のお手伝いなどもできればと思っています」

【HAGISO - 萩荘 -】
住所:東京都台東区谷中3丁目10−25 HAGISO
※カフェなどの概要や営業時間は公式HPでご確認ください

取材・文・撮影 = 大塚有紀
編集 = 川内イオ

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